(asahi.com) 夜の新宿2丁目を取材したことがある。通り沿いに「ラシントンパレス」という奇妙な名前のビルがあり、最上階に全面ガラス張りのジムがあった。

「SKY GYM」。あやしげなムードが漂っていた。勇気を振り絞って中に入ると、そこは「彼ら」の聖域だった。
日本最大規模のゲイタウン、新宿2丁目。約0.1平方キロ地域に200~300のゲイバー、クラブ、サウナが密集している。女装専門や女性同士の出会いを目的にした店もある。
「田舎では、男の人を好きなんて言ったら村八分にされそうでした。だからここは別世界」と群馬出身の高級ニューハーフクラブのママ。あの有名歌手もお忍びでやってくる。
「近くに公園があってね。今は閉鎖されていますが、公園の公衆トイレが彼らの出会いの場でした。壁がゲイの広告塔。電話番号が書いてありました」
同性愛専門の月刊誌「薔薇族」の編集長、伊藤文学(78)は振り返る。創刊号が書店に並んだのは1971年7月。父から受け継いだ純文学志向の出版社を経営していたが、「ゲイが世間から偏見と差別に満ちた目で見られていたのを解消したかった」。伊藤は同性愛者ではないが、大手流通ルートに乗せ、地方でも買えるようにした。
「薔薇族」という抜群のネーミング。「男同士の場所はバラの木の下だった」というギリシャ神話に由来する。寺山修司が詩を投稿。美輪明宏もロールスロイスで世田谷の伊藤の自宅に乗り付け、創刊号を買った。
さて、いまの新宿2丁目。ランドマークだった「ラシントンパレス」は数年前に解体が始まり、近代的な装いの商業ビルに生まれ変わった。地下鉄副都心線も開通。駅周辺の地価はミニバブルを起こし、家賃が高くなった。「これでは商売が成り立たない」。ほとんどのゲイバーが女性や普通の客も受け入れるようになった。
「薔薇族」も競合誌の登場やネットが直撃。90年代は3万部を完売する勢いがあったが、2004年に約3千部まで落ち込んだ。以後、休刊、復刊、休刊を繰り返し、借金だけが残った。
「もう一度、勢いを取り戻したい」と伊藤。目標の400号まであと1号。「2丁目文化」を支えてきた出版人の意地を見せてくれるか。
新宿2丁目が栄え始めたのは江戸時代。甲州街道の宿場が置かれてから。「色街」の性格が強く、明治以降も存続。1923(大正12)年の関東大震災で吉原や洲崎(現在の江東区東陽)が壊滅的な被害を受けたのに対し、被害が少なかった2丁目は新興勢力として客を集めた。ゲイタウンとしての歴史は60年代に始まる。売春防止法施行(58年)で空き家になった赤線をゲイバーに改造。伊藤文学さんによると、そのころは20軒足らずだったという。
ゲイに関するマニアックな用語が飛び交うのも2丁目ならでは。サウナや公園、映画館は「ハッテンバ」。男同士の出会い(発展)の場、という意味だそうである。ラシントンパレスにあったジムは「超」がつくくらいのハッテンバだった。
http://www.gaylife.co.jp/news/2869/2974.html